ロシア革命アニメーション:ムービートレーラー
ジガ・ヴェルトフの《キノ・プラウダ》からの作品には誠意がこもっている。美学上の姿勢が開示され、アニメーションとしてのイメージもよく表現されている。型にはまったイデオロギーにとらわれるあまり、美のセンスが台無しなっている作品には決して見られないよさがある。〜私もアナトーリー・カラノヴィチの《ツイスター氏》に心ならずも参加している…見るに忍びない。ユーリー・ノルシュテイン(アニメーション作家「話の話」「霧の中のハリネズミ」)
今まで外側からしか見ることが出来なかった社会の中へ入って、その窓から覗いたら、外にいる「自分自身」を見てしまったという奇妙な位置と距離感覚の転換に襲われた。このプログラムは、社会主義国から資本主義国へ差し向けられた「鏡」のようだ。ロシアアニメーションの表現史を一望できるのも大変興味深い。山村浩二(アニメーション作家)
これを笑い飛ばせる平和な時代に生きていることをよろこぼうではないか。そうでなければプロパガンダ・アニメーションをふつうの顔をして観ることなどできる相談ではないし、ましてひとつの娯楽として楽しむことなど到底考えられないのだから。赤塚若樹(首都大学東京准教授)
「ソ連の映画なんて結局、政治宣伝でしょう」とか、「政治に利用される芸術なんて不純だ」とか、世の中をつまらなくする物の見方しかできない人は、この作品を見ることはない。ただ指摘しておきたいのは、時代の政治的課題、作品づくりの絶対的な不自由に対する感覚を持つ人が、ソ連映画では傑作をものにしてきたのだということだ。井上徹(エイゼンシュテイン・シネクラブ〈日本〉副代表)
タラソフ!タラソフ!タラソフ!!!!!!ソ連フリージャズのガネーリントリオ、そしてエレキと銃声のマニエリスム・アニメーション!!!僕はタラソフの「今がその時だ」(77)と「射撃場」(79)を連続して17回観てしまった。あまりにも、あまりにも、あまりにも…この遠近法は歪みすぎている。1924年のジガ・ヴェルトフから始まるこの「ロシア革命アニメーション ロシア・アヴァンギャルドからプロパガンダへ」は、ソ連という国家の反遠近法的走馬灯だ。20世紀とは何だったのかという事を、ここまで明瞭に解き明かす映像があるだろうか。間違い無く1つの封印が解かれたのだと思う。「なんてすばらしい!」としか言えないではないか。石田尚志(映像作家・美術家)
無知蒙昧な人民を教化するための道具であったであろうこれらのアニメがなんとアナーキーな味わいをもっていることでしょう。ここに見る、抑圧、不安、諧謔、そして詩情が、愛聴しているプロコフィエフやショスタコーヴィチの音楽と地続きになっているのを感じることができて、僕にとっては新しい発見でした。さそうあきら(漫画家)
アニメーションは静止画の連続だ。静止画と静止画の間の動きは鑑賞者が自身で埋めていく。その行為と相まって、アニメーションという表現方法とプロパガンダという目的はとても相性がいい。静止画に魂を宿らせるアニメーターと、魂が逃げ出さないように見張る鑑賞者の共犯関係がプロパガンダを完成させる。共犯の罪を犯さないよう、私は距離を保って鑑賞していたつもりだったが、激しい生命力の魂に魅せられ、いつの間にか共犯者となっていた。束芋(現代美術家)
この想像力、この自由さは果たして本当にプロパガンダなのか?これは西側の自由主義社会のクリエイターの方が、出資者の意向やメディアの自主規制と云った不自由に囚われているというプロパガンダなのかもしれない。FROGMAN(蛙男商会)
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